覚えていてはいけない記憶。
全てを忘れ、全てをなかったことに。
どれだけ心が覚えていると叫ぼうと、痛みで主張しようと、何もかも忘却の彼方へと消さねばならない記憶たち。
道を違えるためには、消さなければならない。
再び道が交わる時があったとしても、゛何も知らない他人゛。
† † †
場所は、聖域の白銀聖闘士たち用の休憩小屋。
休憩小屋と言っても、各々別の居住の部屋―狭いが個室―を持っているので、休憩と言うよりは団らん場所と化しているのが実情なのだが。
その小屋に最近、ちょっとした変化があった。
1人の一般人が住みついたという。
聖域の法律上重大問題だが、黄金聖闘士を始め命を落とした聖闘士全員生還に比べたら微々たる問題。
少なくとも、当事者である白銀聖闘士たちはそう思っている。
カペラ「さん、オレ美味いピロシキが食いたい!!」
ダンテ「オレは、ナポリタンのピザ!」
ミスティ「私はチーズフォンデュで構わないよ」
モーゼス「戻ってきて早々、料理のリクエストをする前に手くらい洗え!!」
シリウス「いや、その前に客に料理を強要するところに突っ込むべきだろ」
「別に客じゃないでしょ。単なる居候で。それも、皆さんに助けられた」
小屋に駆け込んできた3人に、レタスを洗っていたモーゼスが一喝し、キュウリを切っていたシリウスがさらに突っ込んだ。
さらに突っ込みを入れたのが、件の一般人。
鍋に向かっていたのが3人の方を振り返り、笑みを浮かべる。
長い金髪に、白い肌、薄い青い瞳が優しげな色を乗せ、柔らかな声で3人を出迎える。
「お帰りなさい。今日もお疲れ様です」
ダンテ「た、ただいま」
カペラ「そな、大した仕事じゃないから疲れてないっすよ!」
「そうですか?でも、聖戦?の後始末など現場に出て一番大変なのは皆さんでしょう?」
カペラ「あはは、単純な力仕事っすから」
ダンテ「そうそう。力仕事は聖闘士にとっては朝飯前で」
「何故か美系の多い聖域でもこれだけ整った顔となると、魚座様や乙女座様くらいかな?」と言わしめた程整った顔。
それが真っ直ぐと自分を見てくれるのに赤くなって、ワタワタと不慣れな受け答えをするダンテにカペラ。
無意味に手を振ったり、頭をかいたりする2人に一緒に戻ってきたミスティの冷静な視線と言葉が突き刺さる。
ミスティ「相手が男と分かっていても赤くなるか?」
カペラ「う、うるさい!!美人を見たら赤くなるのは男の義務だ!!」
「いや、それはかなり違うかと」
ミスティ「それなら、この私を見て赤くなれ!!」
ダンテ「断る!!お前見て赤くなったら変態だろうが!!それから、カペラ『美人を見たら口説く』が正解だ!!」
「それも明らかに違いますから」
ダンテ「Σえーー!だって、デスマスク様がそう仰ってたのに!?」
「どういう上司ですか・・・」
アステリオン「そう言う上司なんです」
モーゼス「馬鹿なこと言うから呆れられているぞ」
シリウス「取りあえず、男性相手に失礼だからな、お前ら」
カペラ・ダンテ『う゛、ゴメンなさい』
「いーえ。でも、気を付けてくれると嬉しいですね。ナリはどうあれ、これでもれっきとした男なので」
そう言って、笑う仕草は別段なよなよしているわけでもないのだが、少なくとも聖域にいる女子聖闘士よりは優雅で女性的に見える。
カペラ・ダンテ『は〜い』
アステリオン「んで、リクエストは残念だけど、もうオレが注文しちまったぜ!!」
テーブルに向って報告書を書いていた、アステリオンが話に入ってきた。
他にも、ダイダロスやアルゴルも報告書と格闘している。
カペラ「なにー!!」
アステリオン「だって、これは先に帰ったもん勝ちだろvv今日はオレ頑張って帰ってきたし」
アルゴル「残念だが、一足遅かった」
シリウス「報告書とか全て後回しにして帰ってきたらしく、我々が戻った時には、メニューは決定していた。その癖手伝わないな」
アステリオン「だって、この報告書今日中提出厳守。できなきゃ、教皇様に『うろたえるな小僧ー!!』をくらわされちゃうからな」
モーゼス「その危険を冒して先に帰るあたり、馬鹿だろう」
アステリオン「ほっとけ!!」
「そんなかんじで、本日はリビアのシャクシュカになりました」
ダンテ「シャク?」
「シャクシュカ。トマトと玉ねぎ、パプリカを炒めて、最後に卵を割りいれたシチューのようなものです」
カペラ「夏になろうっていう時に、シチューなんか希望したのかよ!!」
アステリオン「だって、さんと話してたら作れるって言うから。オレ、自分では作れないけど、久しぶりに母国料理が食べたくなったし」
「母国料理が食べたくなるのは季節問わず、なところはありますよね」
ダンテ「『作れる』って、そんな大した料理には聞こえなかったんだが」
「実際、簡単な料理です。腕が泣くと言う人もいるだろうくらいに。トマト炒めて、他の野菜入れて煮込んだやつに卵を入れるだけですから」
アステリオン「そりゃ、食べられる料理はオレだってできるけど、美味しい料理ってのは別!ダンテだって、どうせ食べるなら美味しい方がいいだろ?」
ダンテ「まあ、それは」
カペラ「でも、もっと変わったもの頼めばいいだろ。せっかく料理得意な人が作ってくれるんだから」
「いや、わざわざ手の込んだもの頼まれても。それに、あまり手の込んだモノは片手では難しいですしね」
モーゼス「その辺も考えてリクエストしろよな」
ミスティ「って、君はまだ傷は治っていなかったのか!?遅いな」
「遅いって、アレからまだやっと1週間なんですけど・・・」
アステリオン「聖闘士ならもう治ってるけど、やっぱり一般人とじゃ治癒能力に差があるのか」
ダンテ「まだ痛むんですか?」
「ちょっと力を入れるのは難しいですね。まあ、銃弾が貫通したことを考えれば、動かせるだけでも十分快挙ですよ」
ダイダロス「ここはアテナの小宇宙が満ちているから、人の持つ治癒裕能力なども高められる。普通より回復は早くなる」
アルゴル「だから、モーゼスが怪我をした貴方を連れてきたんだ。そうだろ、モーゼス」
モーゼス「まぁな」
「確かに、あれだけの傷と出血の割に回復が早かったのは事実ですよね。ありがとうございます、モーゼスさん」
モーゼス「あ・・・いや、どいたしまして」
オルフェ「早く完治すといいですね。もっとも、治ったらお別れなのがさみしいですけど」
そう言いながら小屋に入ってきたのは、オルフェ。
オルフェ「貴方が初めて来た日からもう一週間ですか。あ、これユリティースからの差し入れです」
「どうも、ありがとうございますvvしかし、あの日は驚きましたよ」
アルゴル「驚いたのはオレ達も同じです」
ミスティ「後から帰ってきたと思ったら、一般人連れてるのには辟易したね。遭難者見つけても、そのまま港に連れて行くのが普通だというのに」
カペラ「しかも、こんな美人」
ダンテ「どこのお姫様を怪我さして掻っ攫ってきたかと疑ったな」
ダイダロス「あれには本当に肝が冷えたぞ」
オルフェ「トミーもモーゼスを怪しい性癖があったんだと驚いたね」
モーゼス「誰が誘拐なんかするかーー!!しかも、何だその訳の分からん疑いは!!あの状況でそんなこと想ってたのかお前!!」
オルフェ「うん」
モーゼス「あの時は他にどうしたらいいか分からなくて、急いでいたんだぞ!!それを、それをー!!」
あらぬ疑いに激怒するモーゼスを余所に全員が、が聖域に来ることになった日を思い出す。
何とも夜明けから慌ただしかったあの日を。
あの時も、こんな感じに絶叫がこの集会場に響いたっけと。
† † †
今から7日前。
モーゼス・ミスティ・トレミー・ジャミアンの4人に、教皇シオンから「ちょっと地中海を騒がしている海賊がいるらしいから、捕まえてこい」と命令を受けて、海賊のフェイクに引っ掛かって、ちょっぴり船が火事にあったありと損傷したりしたものの、任務完了。
船長たちや海上警備員の方々にも感謝された。
その後、ジャミアンとミスティの2人は教皇への報告で先に戻り、トレミーとモーゼスは、海賊の取りこぼしなどがないかを確認している時だった。
ほんの僅かだけ海上に出た岩に、怪我をして意識のないまま引っかかっている人影を見つけたのは。
モーゼス「人だ」
トレミー「え!?どこ?」
モーゼス「あの岩の上」
トレミー「えーっと、Σあ!いた!!って、怪我していないか?」
慌てて泳いで行ってみると、確かに人がいた。
トレミー「Σうわぁ、美人」
モーゼス「・・・・狽アの状況で注目するのはそこか!」
トレミー「いや、だって、美人だし。モーゼスも今見取れただろ!」
モーゼス「五月蠅い!!怪我の方を心配しろ!」
波が洗い、薄めているはずなのに、赤い染みが服に浮かび上がってくる。
モーゼス「しっかりしてください!!」
小さな足場に降りた2人は、何度も呼びかけるがピクリとも反応しない。
触れた手は、ほとんど体温を感じない。
トレミー「どうだ?」
モーゼス「出血が酷くて、冷え切ってる。っく!オレのヒーリング程度じゃ、全然血が止まらん!!手伝え!!」
トレミー「えー!!オレ、モーゼスよりもっとヒーリング駄目なんだぜ!!」
モーゼス「だからって、このまま血が流れ続けたら死ぬぞ!!」
トレミー「そりゃそうだけど・・・」
取りあえず、小宇宙を送り込んでみるが、少しばかり血の出る量が少し遅くなった程度。
トレミー「なあ、こんなんじゃ無理だろ!!」
モーゼス「だからって、他にどうすればいい!!」
トレミー「・・・・・・」
少しの沈黙の後、
トレミー「聖域に連れて行った方がいいんじゃないか」
モーゼス「なに!?」
トレミー「あそこならアテナの小宇宙が満ちているから、自己治癒能力を上げてくれるし、手当の道具もある。今から港連れて行って状況説明するより早いよ」
モーゼス「・・・・・・・しかし」
トレミー「そりゃ、一般人立ち入り禁止だけど、死にかけている人見捨てるのは、もっとアテナの正義に反するじゃないか?このまま港に運んだって、無理かもしれないんだぜ。助けられるものは助けるのが正義じゃん!!」
逡巡する同僚に、畳みかける。
モーゼス「・・・何かあった時は、一緒に責任取れよ」
トレミー「う゛。・・・バ、バレないよう、頑張ろう!」
モーゼス「そうだな。そうすると、音速で走るのとテレポーテーションとどっちが負担がないと思う?」
トレミー「ど、どっちだろ?テレポーテーションの方かな?」
モーゼス「どっちも負担がかかるが、テレポーテーションの方が時間が短い分楽か?」
トレミー「かな?」
モーゼス「じゃ、行くぞ?」
トレミー「OK」
テレポー途中にとり落とさないよう、しっかりと抱えて聖域へ飛んだ。
トレミー「っと。モーゼス、大丈夫か?」
モーゼス「ああ。こっちも・・・大丈夫みたいだ」
口元にあてた手には、弱いながらも呼気がかかる。
トレミー「それなら、さっさと小屋ん中入ろうぜ!そろそろ、雑兵の中の早いのは起き出すぞ」
まだ太陽の勢力は地平線の付近だけだが、昔ながらの「日が昇ったら起きて、沈んだら眠る」が基本な聖域。
太陽が出た以上朝で、ボヤボヤしてたら目撃者が出てしまう。
別段、やましいことをしているつもりはないが、本来一般時を聖域に入れるのはタブーだし、白銀聖闘士が女性を自分のたちの小屋に連れ込んだなんてスキャンダルは御免こうむりたい。
ただでさえ、黒サガの命令を聞いてアテナ抹殺に力を貸して、冥界戦ではほとんど活躍できず、「戦いのエキスパート」と言われていたのが今や「役立たず」のレッテルが貼られているのだ。
それでも、生き返って以降頑張って少しずつアテナの信頼を勝ち得ているというのに、そんな噂が流れた日にはせっかく気づいたなけなしの信頼が、崩れ去ってしまう!
周囲を気にしつつ、灯りのともったく集会場へ素早く滑り込む。
トレミー「ただいま!!救急箱どこ!?」
魔鈴「おや、やっと帰ってきたのかい?ミスティとジャミアンより随分と遅かったけど?」
トレミー「ああ、ちょっと色々あって」
ミスティ「報告なら、ジャミアンが、まだ教皇の間に教皇その他黄金聖闘士方がいたからってしに行ってるぞ」
トレミー「それは、サンキュー」
アルゲティ「救急箱って、分かれた後にどっか怪我したのかぁ?」
トレミー「いや、怪我したのはオレじゃなくて」
言いながら、一歩遅れて入ってきたモーゼスを見る。
室内にいた他の白銀聖闘士たちの視線もそちらへと集まる。
アルゲティ「モーゼスの方か?」
モーゼス「いや、オレでもない。怪我をしているのは、この人だ」
前にいたトレミーが横に避けると、モーゼスの抱いている3人目の姿が、室内の人間にハッキリと見える。
長い金髪は潮を重たく吸って体に張り付き、白い肌は出血のためか青ざめ、服に滲み出す赤を際立たせている。
意識のない体にはまったく力が入らないまま、モーゼスの腕の中にいる。
シャイナ「どこで誘拐やってきたこの腐れ外道どもー!!」
トレミー&モーセス「Σええ゛ー!!」
魔鈴「現行犯のいい訳の余地なしだね」
ミスティ「私たちを先に帰して、何やっているかと思ったら」
モーゼス「ちょっと待てー!!何の勘違いを!!」
シャイナ「この期に及んで言い訳なんて男らしくないよ!!腕の中に動かぬ証拠があるってのに!男として恥ずかしくないのかい!!」
魔鈴「だよねぇ。女ひとりそんな大けがさせて誘拐するなんてアテナの聖闘士のすることじゃぁないね」
アルゴル「同僚として恥ずかしいぞ」
オルフェ「むしろ、人として恥ずかしいよね」
ダンテ「いくら美人で、自分の物にしたいからってやっていいことと悪いことの差はつけろよ!!」
シリウス「そんなことで手に入れたって嫌われるだけだぞ」
カペラ「さっさと実家に帰してこい!やっと築かれつつあるオレらのなけなしの信頼が崩れる前に!!」
ディオ「そうだそうだ!!」
トレミー「誤解だー!!」
シャイナに胸倉つかまれて揺さぶられながらも必死で否定するトレミー。
モーゼスは白銀聖闘士の白い線を一身に集めている。
モーゼス「違う!!海賊の残党がいないか周辺調べてたら、怪我したこの人が岩の上にいて、オレのヒーリングじゃどうしようもないから聖域に連れてきて」
シャイナ「へー、言い訳まで考えておくなんて姑息じゃん」
トレミー&モーゼス「信じてくれー!!!」
唱和した叫びに、続いてちょっぴり周囲を宥める声が割って入る。
アステリオン「あー、皆ちょっと落ち着いて」
シャイナ「まさかアンタこのバカ2人に味方しようっていうんじゃないだろうね?」
アステリオン「そんな噛みつくように言うなよ。味方するつもりはないけど、ただ、頭の中覗いた限りじゃ本当のこと言ってるみたいだぜ」
トレミー「お前だけは信じてくれると信じていたぞ!!」
アステリオン「ちょっとそんなに掴むな、痛い。それにみんな、真実はどうあれ被害者の傷の手当が先決だろ」
モーゼス「おまっ!!被害者って、実は信じてないなー」
トレミー「今信じるって言ったのに!!」
シャイナ「やかましい!!ともかく、アステリオンの言うとおり手当だけは先にしないとね。結構出血しているみたいだね。右の腕に肩と、腹?何やったんだい?」
モーゼス「何もやってない!!オレ達が保護した時には、もうこの状態だった!!ヒリーングでも中々血が止まらないから、早く手当てしたくてここに連れてきたんだ!!」
魔鈴「取りあえず、その議論は後回しにしな。男どもさっさと小屋の外に出る」
白銀聖闘士『え?』
魔鈴「女の手当てするのにアンタらがいたら出来ないだろ」
ディオ「えー、そんなのに気にするのか?」
魔鈴「一般的に女性は恋人以外に素肌を見せないだろ。意識のない間に晒しもんにする気かい?」
アルゲティ「女子聖闘士は気にしない癖に」
シャイナ「アタシら女子聖闘士だって気にしないんじゃないよ!!単に顔を見られるくらいなら、って話で!!さっさと出てお行き!!それとも、サンダークロウ喰らいたいか?」
白銀聖闘士『はい!!今すぐ出ます!!』
魔鈴「モーゼスはその人アッチの仮眠用のベッドに運びな。私らで手当てするから」
モーゼス「ああ」
後ろで「チッ!!せっかく美人の体が見えると思ったに!!」「ケガ人相手になんてこと言うんだ!!」「聖域に女なんていないし、見れる時に見たいと思って何が悪い!!」などの、非人道的な会話がシャイナに一掃されるのを聞きつつ、ソッとベッドに横たえた。
と、そこで微かに瞼が動いた。
モーゼス「あ」
魔鈴「どうしたんだい?」
ヒョイと覗き込む間に、ユックリと瞼に隠されたアイスブルーの瞳が現れた。
青い眼は、惑うように宙を漂う。
モーゼス「Σ気がついた!あの大丈夫ですか?」
魔鈴「意識が戻ったようだね。まぁ、うるさかったし」
声に引かれるように、モーゼスの方へ視線が動く。
トレミー「Σえ!?ホントか!!ちょっとシャイナ入れろよ!!」
シャイナ「どうせすぐに出るんだ。もう出てたって一緒だろ」
トレミー「それでも、生きてるって確認したいんだよ!!見つけた時なんか、酷い傷に出血で手なんか氷みたいに冷たかったんだぜ!」
シャイナ「しょうがないねぇ。すぐに出てくんだよ」
扉の横に避けてもらうのももどかしと言うように、室内に飛び込んだ。
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